『みんなに良い顔していませんか?』
わたしはそうです。そうでした。
周りに良い顔をしすぎて、本心に蓋をして、疲れ切っていました。
そんな時にジブリ映画「おもひでぽろぽろ」を久々に鑑賞し、作品を通して自分を見つめ直すことができたのです。
「おもひでぽろぽろ」の主人公は27歳。
現在のわたしは28歳。
時代は違えど、同じアラサーです。
社会に出てから8年が経ち、“自分はこういう人間だ”とイメージが固まってくる年齢になりました。考えること、悩むこと、自分のくせなどが習慣になってしまっている状態でした。
自分自身が、自分はこういう人間だと決めつけて無理をしていた結果、ストレスを溜めすぎて疲れ切ってしまっていたのだと思います。
そこで「おもひでぽろぽろ」を観たことにより、自分では気付いていない心の底の自分の気持ちと、表面に出ている自分のあり方について客観的に知れたのです。
〈「おもひでぽろぽろ」とわたし〉
初めて「おもひでぽろぽろ」を観たのは小学校に上がる前でした。
こどもの頃は単純に小学5年生のタエ子ちゃんの行動が面白くて、小学生のタエ子ちゃんばかりを気にしていた記憶です。内容は深く考えず、ぼんやり観ていました。
今思うと理解できる年齢ではなかったため、難しく感じていたのでしょうね。
ゆえに、こどもの頃に観た印象は「大人のタエ子ちゃんのシーン、つまんないな」でした。はっきり言うと、わたしにとって「おもひでぽろぽろ」は推しジブリ作品ではなかったのです。
ところが、つい1ヶ月前。
職場での対人ストレスと自分の気にしすぎる性格にとても疲れて、ほぼ毎日泣いていた時のことです。
なぜか急に「おもひでぽろぽろ」を思い出しました。
無性に居ても立っても居られなくなり、その日のうちにTSUTAYAへ行ってDVDを借りてきました。そして学生時代ぶりに観てみたのです。
すると、こどもの頃と比べ物にならないほど理解ができて、共感もできるようになっていました。
また、タエ子ちゃんの境遇が少し自分と重なる部分があり、まるで自分を観ているかのようにも感じたのです。自分が今までモヤモヤするだけで解決できなかったことをタエ子ちゃんを通してやっと客観的に観れた気がします。それが嬉しくて嬉しくて……。
もしかすると、わたしの潜在意識が「いま、わたしに必要であり人として成長できるヒントはコレだよ。」と「おもひでぽろぽろ」へ無意識的にも導いてくれたのかもしれません。そう思うとなにか不思議なものを感じます。
〈「おもひでぽろぽろ」のどこに惹かれたのか〉
ここで、印象に残った場面とわたしなりの解釈を3つご紹介します。
1.考えすぎる ⇒ 素直に受け取る
劇中のセリフ
「分数の割り算がすんなりできた人はその後の人生もすんなりいくらしいのよ。」
分数の割り算が苦手だったタエ子ちゃん。
分数を分数で割ったらなぜ数が増えるのか、と姉に問う。しかし、姉は「そんなことはいいから、分数同士の割り算は割るほうの(うしろの)分数をひっくり返して掛ければいいだけ」と説明する。
タエ子ちゃんは理屈が分からず、大人になってからもいまだに分数の割り算が苦手だという。考えすぎて上手くいかないのだとタエ子ちゃん自身も気付いている。
一方、仲の良い小学校の同級生は、分数の割り算を素直に受け入れ、大人になった今は結婚して子どももいるという。
だから、理屈にこだわらなければすんなり生きていけるのだというタエ子ちゃんのセリフ。
わたしも考えなくていいところまで考えて、結果疲れてしまうことがあります。
深く考えられるのは悪いことではなく、ひとつの才能だとは思います。
しかし、考えすぎた結果疲れてしまったりストレスを溜め込みやすい場合もあります。
かと言って、なかなか「考えすぎないように」はできなくてモヤモヤするのです。
わたしのように気疲れしやすい人は、「考えすぎないようにする」のではなく、言葉を「素直に受け取ってみる」ことが大事なのかなと思います。
2.良い顔をしている ⇒ 素を出す
主題歌【花は愛、君はその種子】の2番の歌詞より
「挫けるのを恐れて、踊らない君の心。醒めるのを恐れて、チャンスを逃す君の夢。奪われるのが厭さに、与えない心。死ぬのを恐れて、生きることが出来ない。」
ここの歌詞はまさにタエ子ちゃんのことを言っているようにも聞こえるのです。
大人になった27歳のタエ子ちゃんはいつもニコニコしていて明るくしっかり者のイメージがあります。
一方、小学5年生のタエ子ちゃんは家の中と学校では違う顔をしているように見えます。家の中では、ワガママを言ったり素直だったり感情的に行動しています。しかし、学校では正論を言ったり周りに同調する意見を言ったりと、しっかりした優等生のような言動をしているのです。
この点から、27歳のタエ子ちゃんは、学校にいるときの良い顔をしている小学5年生のタエ子ちゃんがそのまま大人になったことがわかります。
歌詞にもある通り、何かを恐れて、素の自分を出せていないのです。その結果、自分らしく楽しく生きていけなくなっているのでしょう。
ですから、周りに「良い顔をしたりいい子ぶる」のではなく、「素を出して周りに甘えてもいい」のだと考えます。そうすることで無理をしなくてもいいようになるのではないかと感じました。
3.やりがいがあるかが大事 ⇒ 一生懸命できそうかどうかが大事
劇中のセリフ
「大変大変っていうけど、一生懸命やってる仕事なら大変でない仕事なんてないでしょう?都会の仕事だって、それは同じじゃないですか?」
タエ子ちゃんから見て義兄のまたいとこにあたる、トシオさん。そして、駆け出しの百姓(有機農業)であるトシオさんが27歳のタエ子ちゃんに言ったセリフである。この質問に「仕事が生き甲斐っていう人はだんだん減ってるみたい」と返答するタエ子ちゃん。そして、「タエ子さんはどうなんですか?」と聞かれ、「えっ、わたし?」と考えたことがなかったという顔をしたタエ子ちゃん。少し考えて「わたしも違うと思う……。仕事、イヤじゃないですけどね。」と答えるシーン。
はじめから自分の気持ちではなく一般的な回答として答えているタエ子ちゃんに、わたしは違和感を覚えました。タエ子さんはどう?と聞かれてから自分はどうなのかと考えるも、結局はっきりと答えられないんですよね。
このやりとりで、タエ子ちゃんが自分の意志で仕事をしていない可能性を高く感じました。
周りに合わせて…みんなもこうしているから…他人に変な顔をされないように…などと自分の気持ちを偽ってきたのかもしれません。だから、一生懸命やれているかどうかに即答できなかったのではないでしょうか。
このことから、やりがいや生き甲斐があるかどうかで判断するのではなく、自分が一生懸命できるかどうかが大事なんだと思いました。
〈まとめ〉
あくまでもわたし個人の解釈であり、作品を作った高畑勲監督には上記のような意図はないかもしれません。しかし、この「おもひでぽろぽろ」を通してわたしは自分と向き合うことができたのです。
ジブリ作品は、その時々により抱く感想が変わるのがおもしろいポイントだと思います。今しか持てないリアルな感情と感想が湧き上がるのです。
そして今、わたしが「おもひでぽろぽろ」に対して心にしみる見方ができたのは主人公と同じ年齢で同じような境遇にいるからなのでしょう。
もっといえば適正年齢なのかもしれません。
大人になった自分の“今”に向き合える作品だと感じました。
そして、わたしにとって考え方を見直すきっかけになった映画であり、変えていこうと背中を押してくれるような作品になったのです。
今回わたしは「おもひでぽろぽろ」という映画が今の自分に必要な要素でした。
このブログを読んでくださったあなたにも、映画だけではなく、小説、漫画、音楽、場所、食べ物など、そのときふと気になったものが出てくることがあるでしょう。もしかしたら、それらは今の自分にとって一番必要なものかもしれません。